競輪祭とは
初めての競輪開催
昭和23年11月20日(土)、小倉競輪場において初めての競輪が開催された。第1回開催では、競走が自転車の種類によって分けられ、甲規格、乙規格、実用車の3種類であった。甲規格には、車輪の直径が27インチ、タイヤの太さが1と4分の1インチのレ―サーが用いられた。
なお、当時の競走では1人の選手が1日に2走しているが、これは規格ごとに1回の出場が許されていたためである。
歴史的な第1レースは、一般競走実用車1,000m競走で午前10時30分に発走し、その後30分間隔で初日は全10レース、2日目以降は全12レースで同様に行なわれた。
当時発売された車券の種類は、単勝式と複勝式の2種類のみで連勝式の発売はなかった。初の連勝式車券の発売は、この小倉第1回開催に次いで行なわれた昭和23年12月11日からの大阪府営住ノ江競輪において実施された。
競輪祭の概要
発祥を記念すべき時期に小倉競輪場において開催
第1回 昭和26年11月21日~26日 競輪発祥3周年記念
第1回(昭和26年)から第5回(昭和38年)までの間は『全国競輪祭』、第6回(昭和39年)以降は『競輪祭』の名称で毎回小倉競輪場において開催されてきた。
競輪祭は「競輪発祥を記念するため、廉あるごとに小倉において実施する」という通産省通達のもとに行われてきた経緯があり、実際に第1回が競輪発祥3周年にあたる昭和26年に、その後の第2回が同5周年の昭和28年に、第3回が同7周年の昭和30年に、第4回が同10周年の昭和33年に、第5回が同15周年の昭和38年に、とその原則どおりに行われてきたが、第6回(昭和39年)からは、第1回小倉競輪の初日を中心にした日程で毎年開催されることとなった。
第5回(昭和38年)からはデビュー3年未満の新人によって争われる「新鋭王座」が組み込まれ実施された。(昭和42年の第9回からは「競輪祭新人王戦」の名称で行われた。)
第40回(平成10年)からは北九州メディアドームにおいて開催され、第41回(平成11年)からは競輪王戦が4日制のトーナメント戦で、新人王戦が従来のトーナメント戦から最終日の単発競走で行われることとなった。
なお、平成14年4月からのグレード制導入により、競輪祭競輪王戦は GIに格付けされて1月開催となり、競輪祭新人王戦は廃止され、ヤンググランプリ【GII】として実施されることとなった。
第43回(平成14年)からは朝日新聞社より社杯が授与され、名称を『競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦【GI】』と改めて開催されている。この名称は、第51回(平成21年11月)より『朝日新聞社杯競輪祭【GI】』に変更された。
平成21年度特別競輪等の見直しにより、第51回(平成21年11月)からは以前に行われていた11月開催(※1)に戻った。また、第52回(平成22年)と第53回(平成23年)は12月開催として実施され、第54回(平成24年)より11月開催として行われており、賞金順によるKEIRINグランプリ出場者もこの開催の最終日で決定するため、グランプリ出場を賭けた最後の戦いが展開される。
競輪70周年を迎えた第60回(平成30年)からは、6日制のナイター開催として大きく生まれ変わった。初日から3日目までに行われる一次予選競走においては、ポイント制を導入し、ポイント上位選手から4日目のダイヤモンドレースと二次予選競走AまたはBにそれぞれ振り分けられる。なお、ポイント制による勝ち上がり方式のため、一次予選が行われる3日目までは、欠場選手が発生した場合、選手の補充を行わないことも特徴である。また、開催期間中には、年末に行われるガールズグランプリの出場権を賭けたガールズグランプリトライアルが並行して実施され、ガールズ選手総勢28名による2つのトーナメントの各優勝者には、ガールズグランプリの出場権が与えられる。