高松宮記念杯競輪2020

高松宮記念杯競輪とは

滋賀県大津市内の近江神宮と高松宮家とのかかわりによって、昭和25年(1950年)から平成22年(2010年)まで、毎年大津びわこ競輪場で開催されていた。

特別競輪(GI)として正式に認定されたのは、昭和38年(1963年)5月の特別競輪等運営委員会の決定によるもので、第14回からであった。それまでは特別競輪に準ずる扱いであった。

当初は男子選手の競走の他に女子選手の競走があったので、『高松宮および同妃賜杯』という名称で行われていたが、昭和39年(1964年)10月に女子競輪が廃止になったため、同年度を最後に『高松宮妃賜杯』も廃止された。

翌昭和40年(1965年)の第16回からは『高松宮賜杯』、昭和48年(1973年)の第24回からは『高松宮杯』と名称が変更された。さらに、平成10年(1998年)の第49回からは『高松宮記念杯』と改められ、故高松宮宣仁親王殿下の御遺徳を偲び、その御意志を末永くお守りして継続することとなり、現在に至っている。

平成11年(1999年)の第50回からはそれまでの6日制から4日制へと改められた。

この高松宮記念杯競輪は昭和48年(1973年)の第24回以降、東西対抗の形式をとっているのが特徴である。平成13年(2001年)の第52回まで選手は、東日本と西日本それぞれに分かれたレースを勝ち上がり、決勝戦で初めて東西の代表が争い勝者を決定する概定番組となっていたが、新番組制度の導入により様変わりを見せた。

平成13年(2001年)度から『東西王座戦【GII】(高松宮記念杯競輪トライアル)』が設けられ、ここで高松宮記念杯競輪の優先出走権獲得を目指した競走が行われることとなった。

平成14年(2002年)度から東西別での勝ち上がりの場はその『東西王座戦【GII】(高松宮記念杯競輪トライアル)』の東・西各王座戦に移し、高松宮記念杯競輪では初日の一次予選及び青龍(せいりょう)賞・白虎(びゃっこ)賞の各レースにおいて東日本地区・西日本地区の選手がそれぞれ4名又は5名に分かれて激突した。

平成16年(2004年)度からは青龍賞・白虎賞を含め、初日の競走に関しては全レース東西別で行われ、二日目以降は東西混合戦という形になった。

平成22年度をもって大津市が競輪事業から撤退したため、平成22年(2010年)6月の第61回が大津びわこ競輪場で行われる最後の開催となった。

平成29年(2017年)度の開催からは、平成13年(2001年)度以前のように決勝戦までは東西の選手が対戦しない概定番組に戻り、さらに平成30年(2018年)度からは、より東西対抗戦という特色を生かし、これまで初日に行われていた青龍賞・白虎賞を特選(東)・特選(西)に変更し、2日目に、東西それぞれの初日特選1着から4着までの選手と一次予選の1着選手が進出する青龍賞・白虎賞が設定される。また、準決勝戦のレース数が東西各1個レースから東西各2個レースに変更され、よりお客様に楽しんでいただけることを目指した概定番組となっている。

レース展望

第71回高松宮記念杯競輪が和歌山競輪場で開催される。和歌山でのGI開催は初めてとなるが、勝ち上がり方式は昨年同様に3日目の準決勝までは東日本地区と西日本地区に分かれて戦われる伝統の東西対抗戦だ。東日本は新田祐大、西日本は脇本雄太を中心にレースが進んでいくだろうが、準決勝が4個レース(各レースの2着までの4名と3着の1名が決勝進出)と厳しい勝ち上がりなので波乱の決着も十分にありそうだ。

和歌山競輪バンク特長

和歌山バンクはクセがなくて走りやすい標準的な400バンクで、どんな戦法の選手でも実力を存分に発揮できる。直線が比較的長めだが、先行も決して不利ではない。

今年1月に開催された記念の決まり手を見てみると、全48レースのうち1着は逃げが5回、捲りが16回、差しが27回、2着は逃げが11回、捲りが8回、差しが13回、マークが16回となっている。

見なし直線距離が59.9mと長いので1着はさすがに差しが断トツだが、逃げの連絡みが16回と健闘している。先手ラインの選手が1着を取ったレースも20回だ。

ただグレードレースでは上位戦になればやはり捲りのほうが優勢で、先手ラインの選手が1着を取ったレースは初日に7回と半数以上だったが、2日目は5回、3日目も5回、4日目は3回にとどまっている。3日目の準決3個レースはすべて捲りのラインがワンツーを決めているし、決勝も松浦悠士が7番手から捲って優勝、渡部哲男と中四国ワンツーを決めている。

先行は打鐘前から仕掛けて先頭に立ち、最終ホームからうまくペースで駆けられれば、直線ではとくに伸びるコースはないしカントも標準的なので、後方からの巻き返しを押さえ込んで12秒台前半の上がりタイムでも十分に逃げ粘れる。カマシも有効で、打鐘から最終ホーム目掛けて一気にスパートし、別線から3、4車身のアドバンテージが取れればそのまま押し切れる。

捲りは当然中団が理想だが、バンクはクセがなく車がなめらかに進むので、脚力さえあれば7、8番手からの逆転も決まる。ただし直線が長いので中団からの捲りであっても仕掛けのタイミング次第では差される可能性は高い。

2日目12Rの二次予選Aでは松浦悠士が4番手から捲り、渡部哲男が付け切れずに別線の選手に割り込まれて3番手となってしまったが、最後の直線で鋭く追い込んで松浦を差し切り1着となっている。

周長400m、最大カントは32度15分07秒、見なし直線鏡は59.9m。全国の競輪場の中で最後までクロイド曲線のバンクを採用していてクセの強いバンクとして有名だったが、平成11年にマッコーネル曲線のバンクに全面改修され、選手からも走りやすくなったと評価が高い。直線が長いので追い込み選手は3、4番手からでも十分に勝負になり、先手ラインの3・4番手にいた選手が直線伸びて好配当というケースが多い。最高上がりタイムは平成26年5月13日にフランスのフランソワ・ペルビスが7番手捲りで叩き出した10秒6。